2021年6月11日の日記

今日は良い日だった。
 夜勤が続いていたため元より休もうかと思っていたところ、上司から積極的にその提案をされたため、引け目なく堂々と休むことができた。朝の九時ごろに目が覚めた際にはまるで土曜日のような感覚で、起き抜けに開いたTwitterに表示された出社している人々のツイートを見たことで、ようやく今日が金曜日であることを思い出す。
 丸一日を勉強にあてるつもりだったが、少し取り組んだだけで頭痛や倦怠感に襲われたため再び布団に入る。十二時ごろに起きた後はシャワーを浴びて昼食を買いに出かけた。
 サンドイッチかトーストかホットケーキ、その類が食べたい気分だった。家の近くにはサンドイッチ屋が二軒ある。
 一つは最寄り駅からの帰り道に位置し、店の前に掲示されたメニューにある、アボカドわさび醤油サンドなどの文字列が目を惹く。その他のメニューにしてもどれも美味しそうで、いつかは訪れたいと思っていた。おそらく注文したらその場で焼いてくれる仕組みなのだろう。その時々の望みにピッタリな食品を提供してくれそうなのはこちらの店だったが、値段が高いのが玉に瑕だった。
 もう一軒は普段は通らない道にあるためにじっくり観察したことはなかったが、コンビニにあるようなサンドイッチを売っている店、という印象を抱いていた。今日はそちらに赴いてみることにする。店に着くと410円のえびアボカドサンドを購入した。包装された冷たいサンドイッチだったが、それにも拘らず美味であった。店に辿り着くまでの途中にこれまた美味しそうなレストランを見かけたため、そちらにもいつか行ってみたいと思う。
 食事を済ませたら眠気が襲ってきたため、素直に服従した。次に目が覚めたのは十六時ごろだ。豆から挽いた珈琲を淹れて、勉強に勤しむ。
 賞味期限が翌日までの卵を使う必要に迫られたため、夕食は卵とじカレーうどんに決定した。チョコバナナパイも作りたかったが、買い物に行ったスーパーには冷凍パイシートが陳列されていなかったため断念し、代わりにパイの実とバナナを同時に口にすることでチョコバナナパイの気分を味わった。
 買い物の最中、自分の欠点や、仕事のことなどを考えて気分が沈んだが、トータルで見れば概ね穏やかに過ごせた日であったのが嬉しい。
 仕事は辞めたらいいと思った。牧場を経営するか、思想の強い喫茶店やパン屋でも開きたい。

ガンダムSEEDの感想(2021年5月2日)

10年前くらいにコードギアスを勧められたのを思い出して、最近初めて観てみたらめちゃくちゃハマりました。ロボット系自体初めてでしたが、コードギアスはロボットメインではなく万人受けするようにできていることもあってか、サクサク見れました。コードギアスについて調べていると、ガンダムSEEDに似ている部分もあるという記述を見つけました。そのため、コードギアス視聴後、ガンダムSEEDも視聴しました。見終えてからはあのシーンはああだったなと思うところが結構ありました。毎日結構な話数を詰め込んで高速で見ていたので、もっとしっかりと見ればよかったなと思いました。見直したいくらいですが、現時点で感じたことを書いてみようと思います。ネタバレ含みます。

 

12話くらいまで、フレイというキャラクターが嫌いでした。嫌なことばっかしている感じがして、性格悪いな…と単純にきつかったです。ネットで調べていると、最初は自分勝手で自制心に欠け、自己中心的で偏見持ちという悪い面ばかりだが、だんだん変わってくるとか成長するとか色々と書かれていました。なので、なんか変わってくるんだろうなと思ってみました。その後、憎しみの裏返しというか、なんかこう…主人公のキラに敵と擦り切れるまで戦って死んでもらうために、策略を使って親密になります。フレイは最初はキラのことが嫌いでしたが(コーディネータだからとかなんとかで)、肉体関係を持つと嫌でも愛着が沸くということもあってか、気付かない内に単純に好きとかではないけどうまく言えない…もっと複雑な感情を抱くようになっています。それを、他のキャラクターの心情も絡めながら伺える、30話がとても良かったです。フレイはもともと、サイという性格の良い陽キャのリーダーみたいな奴と付き合っていました。個人的にサイはめちゃくちゃ好きです。これ私だ、と感じます。30話の時点で、キラは行方不明で生死もわからない状態でした。30話でサイとフレイのこういうやりとりがありました。

 

「俺に何」

「何って…」

「トールがいなくて、キラがいなくて、みんな悲しいんだ。俺も、悲しい。」

ここでフレイは少しびっくり(?)します。寝取られた上キラにひどいことも言われたのに悲しいんだみたいな感じでしょうか。

「だから俺、今君を慰めてやることなんか、できないよ。ごめんな。誰か他のやつに言って。」

「サイ…けど私、本当は」

「フレイ!」

「あなた!わかってたじゃない!わたし、本当はキラのことなんか」

「いい加減にしろよ!君はキラのことが好きだったろ!」

「違うわ!」

「違わないさ!最初はどうだったか知らないけど、あいつ…優しくて、だから、そういうやつだから…」

「違う!」

 

見ているときは客観的に見ていましたが、全話見終えて改めて考えると、ここのフレイの気持ちもわからなくもないなと思いました。私もキラみたいな奴が嫌いです。けど思うところがあるというのもわかります。ここのサイの気持ちもめちゃくちゃわかりました。キラはその後生きてたってなって、34話でサイはキラと話します。そのシーンもめちゃくちゃ好きで、サイは私だなと感じます。サイはキラを見ていると自分が惨めになる、とキラに言います。このときの描写によって30話のサイの発言の心情がより深く理解できます。

 

「俺は…お前が死んだと思ったとき、すごい悲しかった。だから、生きてて、戻ってきてくれて、ほんと嬉しいさ。でも、なんでお前はそうなんだよ!違うんだって。俺なんかとは違うんだって。いつも…いつも…!お前を見てると惨めになってしょうがないよ、俺は。」

 

このセリフがとても良くて何回も見てしまいました。本当はこのシーンはキラの返しのセリフ込みで意味があって、というかサイにはサイで良いところがあるというのがその後の話で描写されているのですが、そこは私個人にはあまり響きませんでした。私はずっとここで止まっています。なので、サイはすっごく良い奴で健気に頑張っていてすごいなと余計感じました。

2020年9月20日の日記

トルストイの短編の感想と犯罪者が憎いと書くだけのブログになりつつありましたが、ついに『イワンのばか』『人はなんで生きるか』2冊とも読み終えました。解説もとても興味深かったです。「悪をもって悪に抗するな」という思想はいくつかの話の主題としてあったようです。これと、他人に優しくしなきゃいけないというテーマが大きくあるのかなと感じました。『ろうそく』という話にまさに私のような人間の心情を表している箇所があり、この話はどうなっていくのだろうとわくわくしていましたが、終盤は個人的には難しかったです。土地の管理人がとても悪い人で百姓たちをこき使っていて、百姓たちはみんなであいつ殺そう、その方が大勢の人のためを思うと理に適ってるし神さまもそれを望んでるだろうと相談しますが、ミヘーエフという百姓は「……もし悪を滅ぼすのに悪をもってしてもいいものなら、神さまがわしらにそういう掟をお与え下されただが、そうでねえから、別の仕方が示されてあるだで。おまえが悪をもって悪を滅ぼそうとすれば、それはおまえに返ってくるだよ。人を殺すないいことでねえ!血が魂にはね返るだ。人を殺せば、自分の魂が血だらけになるだ。おまえは悪人を殺したつもりでも、―悪を滅ぼしたつもりでも、そのじつお前はもっとわるい悪を、自分のうちへ引き込むことになるだ。……」と言って反対します。これを読むと自分にも言われているように感じ、自分が悪になろうがそこまで気にしませんが、たとえば色々な人を傷つけた悪い人に私が制裁を下したとして、その人の近親者もまた被害者として悲しむことになるのかと思うと良くないのかもしれないと思いました。その後、管理人が村老に百姓たちの様子を見てくるよういい、村老はみんながこういう悪口を言っていたと報告すると管理人は爆笑します。そこまではいいのですが、村老がミヘーエフは悪口を言わず地には平和、人には親切。と言って犂に手をかけて馬を引きながら細い声で歌っていた、ということを言うと、管理人の心境が変わって何かを会得したようでときどき憂鬱になってその後アル中になってすぐに亡くなってしまいます。その辺が私個人的にはなんとも言えませんでした。キリスト教の信者ならそうなるのかもしれませんが、たとえば日本の普通の人で、ある事件の加害者がいたとして、この管理人のようにこんなすぐに物事を悟るかな、と思いました。もともとの素養がないと反省をしたり世の中のこと、自分はなぜこういうふうであるのかなどを考えることすらできないのではないかと思います。

 

でも、全部の話が面白くて考える要素もたくさんあったので読んだ人がいたらお話してみたいです。また、読んだのは岩波文庫のものですが他の人の訳の解説なども見てみたいなと思いました。色々な話に関してもっと言いたいことがたくさんあるので、余裕があればいつかまとめようかなと思います。私の好きな『チェブラーシカ』のチェブラーシカとゲーナは無知にして無垢で、ソ連社会における移民の役割を担い、社会主義イデオロギーに与している《聖なる愚者》として描かれていて、これは『イワンのばか』のイワン、ドストエフスキー罪と罰』のソーニャ、リザヴェータの流れに繋がっているという記述をみました。前述のミヘーエフもそれに近いのかなと感じ、そのような要素を持つ登場人物は何人か出てきたような気がするなと思いました。そこでは聖なる愚者として生きることが心の平安に繋がると記述されており、『イワンのばか』はまさにそうだと感じました。また色々考えてみようと思います。

 

思うところがあり、今日あったことをもっと色々書きたかったのですが明日も仕事で時間がないためやめます。国立近代美術館行きたいなと思いつつ通過し図書館に行って本10冊くらいパラパラみて道端の活動家の人と話しました。街中を歩いていると私は惨めだなと感じ、死にたくなりました。生き急いでいるせいか、全然時間が足りないと感じます。昨日はプログラミングの研修受けてスキルアップのためにそういった勉強もしなきゃいけないのかなとは思いますが、社会問題のことも気になるし、何よりもまず最近会っている人に認められるためには本を読まなきゃいけないし政治の動画を見なきゃいけないしたくさんのアニメを見なきゃいけないと思うと厳しいなと思いました。今日『ディズニーアニメーション背景美術集』『ファンタジーの世界地図』やソ連の本などを見ていると楽しかったです。人に好かれるために物事やっているとむなしくなりそうなので純粋に楽しめるものに立ち返るのは良いことだと感じました。

2020年9月9日の日記

精神的に調子が悪いときにインターネットをみるのはあまり良くないなと思いました。色々な意見があったり嫌な出来事を思い出すトリガーとなるものがそこらじゅうに散らばっていて、もっと感情が乱れそうです。今日は日中用事があったのでその間は全くインターネットを見ず、景色を見たり悪くないことを思い出したりしていると気分が幾分かましになりました。普段使わない沿線の電車に乗って風景をみていると世界は物理的に広いなと思いました。どうでもいいことですがひとつ気付いたことがありました。

夜は手持ち無沙汰でなんかもうインターネットで色々みてしまいやめられなくなり微妙な気分になりました。


あとは今日、チェブラーシカ日本語版を1話だけ見ました。世界観を壊したくなくてロシア語版しか見たことがなかったので新鮮でした。大谷育江さんの声が印象的でした。アイツ喋れたんだ…みたいな登場人物(犬)がいてたまげました。
時代背景から考察しているチェブラーシカの解説や感想は結構あるので見てみると面白いです。 1話の一番はじめのシーンでオレンジ商が出てきますが、買い物客に軽いオレンジを与え、秤に乗せた瞬間に指で重みをかけて高い値段で売りつけています。冷戦期オレンジの輸出国はアメリカで、南方に植民地を持たないソ連の人にとって、オレンジというのはあこがれの南国の夢の食べ物だったから、オレンジ商が道路に店を出すと、それだけで祝祭的様相を示すというものだったそうです。チェブラーシカ(謎の生物)もオレンジの箱とともにやってきているのでそういう性格を帯びているのではと言われています。その他の3話にも、ソ連らしさがたくさん散りばめられていて素敵です。それとは関係なしにユーモラスな点もたくさんあって好きです。
始めに流れる音楽も哀愁漂っていて良いです。2話目というのかわかりませんが、ピオネールというソ連ボーイスカウト的存在が出てくる回も、ゲーナという主要人物が歌っている誕生日の歌(Пусть бегут неуклюже)で始まるのですが、それも寂しいながらも嬉しいような、そんな雰囲気があって好きです。
ガーリャという女の子がとても魅力的です。チェブラーシカは自身が天涯孤独で正体不明なのを気にいていて、こうしたいけど僕は正体不明やからなぁ…というようなことを言うのですが、そうするとガーリャはそんなことないわよ!とすぐさま否定してくれます。新しい仔犬を飼うといった理由で捨てられたトービクという犬には、「Не плачь! Пойдём со мной.(泣かないで、いっしょにおいで)」と言って友達を募集しているゲーナの家に連れていってあげます。真面目でしっかり者で子ども劇場で働いているそうです。アニメのキャラクターなどでもこういった性格の女の子をよく好きになります。
無限に書いてしまうのでもうやめます。

あとは、カトリックの教理解説書を数ページ読みました。キリスト教の本を読んでも救いにはならず知識にしかならないのが残念です。ヒルティの幸福論だかはキリスト教の思想が色濃く反映されていて、そうでない人が読んでもなんか違うなとなるらしいですが、私もそうなるだろうなと思いました。どうしたら教えを内面化できるんでしょうか。雷に打たれたら目覚めますかね。誰かが、教会に通っていたけど一向に理解できず、何かのきっかけでわかるようになり、教徒の人からあなたがわかってくれるようずっと祈ってた甲斐があった!と言われたみたいな文を読みました。おそらく教会でみた月報のようなものにコラムとして載っていた気がします。家にあるのですが、それすら読む気力がないので今日はここまでにしておきます。

あとは、原田マハさんの『生きるぼくら』という小説を100ページくらい読みました。内容的に苦しい部分もあって、いじめられている描写などは直視できませんでした。半目で見ました。その後は軽快で、普通にさらさら読めました。
私はいじめの加害者が許せないみたいなことをよく言います。でも別にいじめは受けたことがあるわけでもないので、義憤だの何もわかっていないだの自分の社会に対する不満をそこに還元して怒っているだけ(?)みたいなことを言われたことがありますが、自分でもわかりません。考えるのも億劫です。


明日は仕事です。今日たまたま休んだだけですが、ましになったので良かったです。本当に私は人間が苦手なんだなと思いました。でも今日は、タクシーの運転手さん、お医者さん、店員さん、駅員さん等々が親切にしてくれ、特にお医者さんから子どもに対する接し方のように優しく言われたので全肯定されている子どものような気分になれました。役に立たないと生きていてはいけないなんてことはない、と身近で苦しんでいる人がいれば言いたいです。正直土日も予定が入って微妙な気分です。何日かお休みをとって一人で旅行にいけたら楽になるかもしれません。