2020年9月20日の日記

トルストイの短編の感想と犯罪者が憎いと書くだけのブログになりつつありましたが、ついに『イワンのばか』『人はなんで生きるか』2冊とも読み終えました。解説もとても興味深かったです。「悪をもって悪に抗するな」という思想はいくつかの話の主題としてあったようです。これと、他人に優しくしなきゃいけないというテーマが大きくあるのかなと感じました。『ろうそく』という話にまさに私のような人間の心情を表している箇所があり、この話はどうなっていくのだろうとわくわくしていましたが、終盤は個人的には難しかったです。土地の管理人がとても悪い人で百姓たちをこき使っていて、百姓たちはみんなであいつ殺そう、その方が大勢の人のためを思うと理に適ってるし神さまもそれを望んでるだろうと相談しますが、ミヘーエフという百姓は「……もし悪を滅ぼすのに悪をもってしてもいいものなら、神さまがわしらにそういう掟をお与え下されただが、そうでねえから、別の仕方が示されてあるだで。おまえが悪をもって悪を滅ぼそうとすれば、それはおまえに返ってくるだよ。人を殺すないいことでねえ!血が魂にはね返るだ。人を殺せば、自分の魂が血だらけになるだ。おまえは悪人を殺したつもりでも、―悪を滅ぼしたつもりでも、そのじつお前はもっとわるい悪を、自分のうちへ引き込むことになるだ。……」と言って反対します。これを読むと自分にも言われているように感じ、自分が悪になろうがそこまで気にしませんが、たとえば色々な人を傷つけた悪い人に私が制裁を下したとして、その人の近親者もまた被害者として悲しむことになるのかと思うと良くないのかもしれないと思いました。その後、管理人が村老に百姓たちの様子を見てくるよういい、村老はみんながこういう悪口を言っていたと報告すると管理人は爆笑します。そこまではいいのですが、村老がミヘーエフは悪口を言わず地には平和、人には親切。と言って犂に手をかけて馬を引きながら細い声で歌っていた、ということを言うと、管理人の心境が変わって何かを会得したようでときどき憂鬱になってその後アル中になってすぐに亡くなってしまいます。その辺が私個人的にはなんとも言えませんでした。キリスト教の信者ならそうなるのかもしれませんが、たとえば日本の普通の人で、ある事件の加害者がいたとして、この管理人のようにこんなすぐに物事を悟るかな、と思いました。もともとの素養がないと反省をしたり世の中のこと、自分はなぜこういうふうであるのかなどを考えることすらできないのではないかと思います。

 

でも、全部の話が面白くて考える要素もたくさんあったので読んだ人がいたらお話してみたいです。また、読んだのは岩波文庫のものですが他の人の訳の解説なども見てみたいなと思いました。色々な話に関してもっと言いたいことがたくさんあるので、余裕があればいつかまとめようかなと思います。私の好きな『チェブラーシカ』のチェブラーシカとゲーナは無知にして無垢で、ソ連社会における移民の役割を担い、社会主義イデオロギーに与している《聖なる愚者》として描かれていて、これは『イワンのばか』のイワン、ドストエフスキー罪と罰』のソーニャ、リザヴェータの流れに繋がっているという記述をみました。前述のミヘーエフもそれに近いのかなと感じ、そのような要素を持つ登場人物は何人か出てきたような気がするなと思いました。そこでは聖なる愚者として生きることが心の平安に繋がると記述されており、『イワンのばか』はまさにそうだと感じました。また色々考えてみようと思います。

 

思うところがあり、今日あったことをもっと色々書きたかったのですが明日も仕事で時間がないためやめます。国立近代美術館行きたいなと思いつつ通過し図書館に行って本10冊くらいパラパラみて道端の活動家の人と話しました。街中を歩いていると私は惨めだなと感じ、死にたくなりました。生き急いでいるせいか、全然時間が足りないと感じます。昨日はプログラミングの研修受けてスキルアップのためにそういった勉強もしなきゃいけないのかなとは思いますが、社会問題のことも気になるし、何よりもまず最近会っている人に認められるためには本を読まなきゃいけないし政治の動画を見なきゃいけないしたくさんのアニメを見なきゃいけないと思うと厳しいなと思いました。今日『ディズニーアニメーション背景美術集』『ファンタジーの世界地図』やソ連の本などを見ていると楽しかったです。人に好かれるために物事やっているとむなしくなりそうなので純粋に楽しめるものに立ち返るのは良いことだと感じました。